「ハーレム禁止の最強剣士!」ブログ

「小説家になろう」「カクヨム」で青葉台旭の名前で小説を書いています。その新規投稿の告知をします。読んだ小説の感想や、観た映画の感想を書いています。撮った写真を載せています。

最近では、世界中の観光地で、世界中の人間がスマートフォンでパシャパシャ写真を撮っているらしい

20世紀の後半、外国人から見たステレオタイプの日本人像というのは、メガネをかけ、出っ歯で、首からカメラをぶら下げて、とにかくどこへ行ってもパシャパシャ写真を撮りまくる奴ら、というのが定番だった。

映画とかテレビとか風刺漫画とか。

で、現在はどうなっているかというと、世界中の観光地で、世界中の人間が、スマートフォンを両手に持って前に突き出し、何かというとパシャパシャ写真を撮っているらしい。

なんだ、結局お前ら全員、「どこへ行っても、何かというとパシャパシャ写真を撮ること」が好きなんじゃねえか。

そういうのが好きなのは、日本人だけじゃないよね、本当は、世界中の人間みんなが好きだよね、と。

で、元祖どこへ行っても写真パシャパシャ民族だった日本人が、撮った写真をどうしていたかというと、現像してアルバムに貼って、そのアルバムを家族や恋人や知人友人たちと見ながら和んでいた訳だ。

で、その現代版がインスタグラムなんだと思う。

デジタルらしく、物理的な制限がほとんどない。何枚撮ってもタダで、現像する必要もなく瞬時に家族や知人と共有できる。

あまりに簡単だから、べつに観光地などという特別な場所だけで使う必要もない。

なんなら毎日、通勤、通学行き返り、昼飯、晩飯……一日中、撮って撮って撮りまくって、「~なう」的なキャプションとハッシュタグをちょっと付けて投稿しまくりたい。

こういう欲望をインスタグラムは素直に叶えさせてくれる。

じゃあ何で、みんな、そんなことをするのかというと、心理学者でもない私が答えるとすれば「人間には、元からそういう欲望が根源的にあったんだろ」と。

行った先々で写真を取る事で自分の足跡をどこかに記録したい、保存したい、仲間といっしょに見て、ああだこうだ言いたい、という欲求が、人間には元々あったんでしょ、と。

前世紀までは、その欲望を自覚し、フィルムをカメラ屋に持って行って現像してもらうという面倒臭さや金銭的負担を引き受けてでも、その欲望を満たしていたのは日本人だけだった。

それがカメラや写真にまつわるあらゆる事がデジタル化されて、面倒臭さからも金銭的負担からも解放されたとたん、世界中の人間の「行った先々で写真を撮りたい、自分の足跡を残したい、知人とシェアしたい」という欲望が一気に噴出したんじゃないか。

その「行った先々で写真を撮る→記録・保存する→家族知人とシェアする」というフローをいちばんノイズの少ない形でシンプルに実現してくれるのが、インスタグラムなんだろう、と。

例えば、ツイッターの「リツイート」機能は、もの凄く強力な情報の拡散装置である一方で「俺がシェアしたいのは、俺の家族と、せいぜい数人の知人たちだけなんだよ」という人にとっては、ノイズである可能性も高い。

例えば、私にとっては、妹自身が撮った甥っ子・姪っ子の写真はシェアしたいが、妹が夢中になっている男性アイドル歌手が楽屋で寛いでいる写真はノイズでしかない。

妹自身が、その男性アイドル歌手をフォローするのは勝手だが、俺のタイムラインの、甥っ子と姪っ子の写真の間にそいつの写真を挟まないでくれ、と。

「日々、ケータイで写真を撮る→ちょっとしたキャプションとハッシュタグを付けてウェブに投稿する。知り合いの写真を眺める」この繰り返しが一番楽チンに出来るのがインスタグラムだろう。

今のところ「インスタグラムが何故今受けているのか?」の私なりの解釈が、これだ。