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「ハーレム禁止の最強剣士!」ブログ

「小説家になろう」「カクヨム」で青葉台旭の名前で小説を書いています。その新規投稿の告知をします。読んだ小説の感想や、観た映画の感想を書いています。撮った写真を載せています。

なぜ鏡は、左右だけを反転させて上下を反転させないのか

その他

子供の頃から不思議に思っていた事。
「鏡に移る自分は、なぜ左右(だけ)が反転しているのか」

つまり、なぜ上下は反転しないのかという事だった。

子供心に「鏡に映るという現象に上下とか左右とかいう区別はないはずだ」と思っていた。

その答えを知ったのは大人になってからだ。

今から十年くらい前に、何かの本で「反転しているのは左右ではない、前後(奥行きだ)」という文を見つけて「ああ、そうか! なるほど!」と膝を叩いたのを覚えている。

しかし、それでも何かモヤモヤが残っていた。

「じゃあ、なぜ人間は前後の反転を左右の反転と間違えるのだろう?」

その答えが、今わかった。天から降ってきた。

「現実の人間が振り返るとき、左右を反転させるから」

鏡などというものは、もともと自然界にないから、生まれて初めて鏡に映る自分の像を見たとき人間は何と比較するかというと「現実世界で誰かと向かい合った時の記憶」であるはずだ。

たとえば、自分と向かい合って食事をしている親とか兄弟とか。

で、そういう現実世界の人間は、何を反転させて自分と向かい合っているかというと、

実は、現実世界の人間たちこそが、左右を反転させて向かい合っている

たとえば、前を歩いている友人の肩をたたいた時、その友人は、どうやって振り返るだろうか?

左右を反転させて振り返るはずだ。

まさか、バック転をして逆立ちして自分と向かい合う人間もいないだろう。

結果として「自分と向かい合っている者は必ず、自分と左右がクロスした状態になり、自分にとっての左側が相手にとっての右側になり、相手にとっての左側が自分にとっての右側になる」
そして「自分と向かい合った者は、右と左が入れ替わった状態であるべきだ」という刷り込みが脳の中で行われる。それが物事を見る基準になる。

たとえば、右手に箸を持った自分を映した写真を見て、あなたは何を思うだろうか。

「うむ。OK。これは左右が反転していない。だって、ちゃんと今の俺とは反対の側に箸を持っているからな」

鏡に映った自分が左右反転しているのではない。左右が反転してるのは現実の方なのだ。
そして「左右を反転させて自分と向かい合う事こそが正しい」と無意識に思い込んでいるのだ。

あなたは、テーブルの上に伏せて置かれたトランプのカードをどうやって裏返すだろうか?

左右を反転させて裏返すはずだ。

上下を反転させて裏返すことは無いはずだ。たまたま上下を反転させてトランプを裏返しても、すぐに「上下を正しい位置に、左右を反転させた(正しい)位置に」するはずだ。

結論。

つまり、左右を反転させていたのは鏡ではなく「現実世界で、自分と向かい合う人々」だったということだ。

記憶の中の「自分と向かい合っている人々」は全員左右反転しているので、左右を反転させないで映す鏡に対して、逆に「ここに映っている自分の像は、いつも見慣れている、自分と向かい合っている現実の人々とは左右が逆だ」と思い込んでしまうのだ。

もう一度言う。

左右を反転させて自分と向かい合っているのは、現実世界の人間たちであって、鏡に映った像では無い。

そして、左右を反転させて自分と向かい合う事が基本の世界では「左右を反転させていない鏡の像」は「左右が逆転している」と認識される。