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「ハーレム禁止の最強剣士!」ブログ

「小説家になろう」「カクヨム」で青葉台旭の名前で小説を書いています。その新規投稿の告知をします。読んだ小説の感想や、観た映画の感想を書いています。撮った写真を載せています。

1080ピクセル×1080ピクセルで色々投稿してみる。

写真 ウェブ

インスタグラムを使ってみた感想。

1080ピクセル×1080ピクセルで、基本、正方形フォーマットという、この制限が逆に良いんだろうな。

「インスタント・カメラやトイ・カメラは、その性能の低さゆえに、使う側の心の敷居も低くなるので、気軽に使える」という心理が働くのと同じだ。

「サービス自体の画質が低いんだから、投稿する写真も『ゆるい写真』でOKだよね?」という暗黙の自己弁護を、投稿者に許してくれる。

もちろん、このウェブ・サービスの開発者側は、意図的に、わざと、それを狙っているのだ。

それは、インスタント写真を表す「insta」に、ギリシャ語で「書かれたもの」を表す「gram」を合わせて「insta-gram」というサービス名にしたことにも現れている。

画質の良いフルサイズの一眼レフで写真を撮る場合、どうしても「良い写真を撮らなければ」という意識が働く。

使う側に「襟を正して真剣に写真と向き合うべきだ」という心理が(意識的にしろ無意識的にしろ)働く。

そこを、インスタグラムは、わざと画質を落としてフォーマットに制限を加えることで「そんなに肩ひじ張らなくても良いんだよ。良い写真も、それ程でもない写真も、気楽にどんどんアップロードして良いんだよ」という「気軽さの演出」をしている訳だ。

1080ピクセルという数字自体に意味があると言うより、演出としての「気軽さ」に意味があるのだろう。

私は使ったことが無いが、最近、高校生たちの間で流行し始めている「スナップチャット」というウェブ・サービスにおいては、全ての投稿は10秒以内に消滅するらしい。

これも「わざと制限を加えることで、気軽さ、気安さを演出する」という手法だろう。

もちろん、サーバーの負荷、帯域、記憶容量を抑えるという現実的な側面もあるのだろうが……

「わざと性能を落とすことによって、人々を安心させる、ホッとさせる」という発想・思想。

これはこれで、世の中には必要なのだろうな、とは思う。

しかし、心のどこかで、もう一人の私が言う。

「それで良いのか? 誰かが本気で『最高』を目指さなくて、本当に、それで良いのか?」と。

  • 「ほどほどの物を見てホッとする、安心する、癒される」
  • 「最高のものを見て感動する」

この二つの思想は、両方とも世の中にとって必要な物なのかもしれない。

追記。

写真撮影という趣味を、私は、「自分自身がホッとする」「自分自身が癒される」ために始めました。