「ハーレム禁止の最強剣士!」ブログ

「小説家になろう」「カクヨム」で青葉台旭の名前で小説を書いています。その新規投稿の告知をします。読んだ小説の感想や、観た映画の感想を書いています。撮った写真を載せています。

そろそろ「ブログ」「ブロガー」という言葉が実態を表さなくなっていると思う。

ある人が、外国人に言われたそうである。

どこかのウェブサイトに書かれていた話だが、ある日本人が、外国人に「なんで日本人はブログで日記ばかり書くのか」と聞かれたそうである。その外国人が言うには、ブログというのは自分の思想や主義や主張など知的で高尚なものを文章で表現する場であって、日常のささいな出来事を、つまり社会的な重要度の低い個人的な事を表現する場ではない、と。

しかし、ちょっと待て、その外国人よ。

ブログとは元々は「ウェブ・ログ」のことだろう。

ウェブ・ログ、略してブログ。

では、「ウェブ・ログ=web log」とは何だ?

web とは world wide web つまりインターネット上に構築された HTML 転送網の事だ。

log とは、本来は「航海日誌」の事だ。「日誌」だ。

だから、「ブログには高尚な主義・主張を書くべきで、日常のささいな事ばかりを書くのは、けしからん」というのは、ブログの語源からすれば、むしろ逆だ。

ブログとは本来「インターネットに公開された日誌」という意味だ。

ブログに日記を書くのは、だから、むしろ当たり前の行動だ。

そうは言っても、ある概念に名前が付けられたときの意味と、現代の意味が変わっているものは確かにある。

例えば、ウィスキーというのは、もともと「命の水」を表すゲール語のうち「水」の部分を表す「ウシュケ」が訛ったものだ。

蒸留酒を飲むとき体がカーッと熱くなる感じから「命の水」と名付けられたのだろうが、それならば、本来、その蒸留酒の飲む有様を表現しているのは「命の」の方だったはずだ。それが言葉が短縮される過程で落ちてしまって、単に「水」と呼ばれるようになった。

ウィスキーの本来の意味が「水」では何が何だかわからないが、時代を経て、みんながその言葉を使うようになって、その時代の社会全体で意味が通じるのならば結果オーライという事もあるだろう。

「ケータイ」という言葉も、みんな日常的に使っているが、携帯電話を「ケータイ」と略せるなら、携帯式防空ミサイルシステムも「ケータイ」だし、携帯式ウォシュレットも「ケータイ」だろう。

ブログにしても、本来は「ネット上の日誌」という意味だが、日誌を簡単に公開するツール(ブログ・サービス)が作られ、それが日誌以外の様々な用途……たとえば、自分の社会的な立場や主義を書く目的で使われたり、小説を投稿・閲覧する目的で使われたりし始めた。

ウェブ・ログ=ウェブ日誌という言葉本来の意味を離れて、総花的なコンテンツ投稿・管理・公開システムおよび、そこに投稿されたコンテンツの事を表すようになった。

しかし、ブログ本来の意味である「ウェブ日誌」として使っている人に対して「ブログを日記目的で使うなんて、けしからん」とまで言ってしまうと、これは本末転倒だ。

もはや、ブログは「ウェブ日記投稿・公開サービス」という本来の目的を超えて、様々な用途に使われている。様々な用途でブログ・サービスを利用している人を、十羽ひとからげに「ブロガー」と呼んで良いのか?

日記投稿サービスに最低限必要な機能は何か?

「投稿された文章、写真などを作者別に保存し、投稿された日時の順に並べて公開する」ことだ。

最低限この機能があれば、日記を書く事が出来る。

この「投稿し、作者別・日付順に公開する」という日記投稿サービス=ブログの機能を見て、みんな「これは日記以外のコンテンツにも使えるぞ」と気付いたに違いない。

「投稿し、作者別・日付順に公開できる」ものなら何を投稿しても良い。

  • ある人は、日々思いついた料理レシピを
  • また、ある人は、時事問題に対する自分の考えを
  • また、ある人は、飼っている猫の日々の様子を
  • また、ある人は、自作の小説の連載を
  • また、ある人は、四コマ漫画を

これらは、みんなブログを使って公開可能なコンテンツばかりだ。

要するにブログ・サービスとは「日記投稿・公開サービス」の事だが、日記を投稿・公開できるサービスを利用すれば、およそ文章と名の付くものは何でも投稿できてしまうという事だ。

つまり、日記投稿サービスは流用範囲が飛んでもなく広いサービスなのだ

共通しているのは「文章(および画像)を投稿する」という事だけで、使用目的が千差万別に拡散しているのが現在のブログ・サービスだろう。

では、ブロガーの定義とは何だ?

「ブログ・サービスに文章を投稿している」という共通点だけで一つに括(くく)って「ブロガー」と呼んで良いのか?

料理のレシピを毎日投稿している奥さんも、哲学論文を投稿している大学院生も、飼い猫の様子を日々綴(つづ)るお父さんも、自作のファンタジー小説を毎日投稿する高校生も……みんな「はてなブログ」を使っていれば「ブロガー」なのか?

だとすれば「ブロガー」とは、単に「ウェブに文章を投稿している人」という程の意味でしかないではないか。

ならば「ウェブ文筆家」とでも呼べば良い。しかし「ウェブ文筆家」などという広すぎる言葉に、どれほどの意味があるのか。

逆に、同じコンテンツを投稿していても、投稿先がブログ・サービスならブロガーで、他のサービスを使うとブロガーではなくなるのか?

一人の少年が「はてなブログ」に小説を投稿すれば「ブロガー」で、「小説家になろう」に投稿すれば「ウェブ小説家」と呼ぶべきなのか?

「はてなブログ」に料理レシピを投稿すれば「料理ブロガー」で、同じ料理をクックパッドに投稿すればブロガーとは言わないのか?

短いエッセイを「はてなブログ」に投稿している人はブロガーで、同じ文章をフェイスブックのタイムラインに投稿すれば、ブロガーとは呼べないのか。

ブログ・サービスも日々変化している。多くのブログが SNS 的要素を取り入れて SNS との境が曖昧になっている。一方、明らかに「日記サービス」を目指していないものが、便宜上「ブログ」と呼ばれる事もある。

例えば「Medium」というサービスが、便宜上ブログとして分類される事がある。

しかし、あれは明らかに「日記投稿サービス」を目指していない。時系列順に閲覧される事を指向していない。

「note.mu」などもそうだろう。

では、今までブログツールを使って文章を投稿していた人が(書いている内容は変わらないのに)ブログから note へ発表の場を変えたら、昨日までブロガーだった彼を、我々は何と呼べば良いのか?

ブログでもない、SNS でもない文章投稿サービスに対する呼称を考たほうが良い。

これからブログ的な要素を持ちつつも、あきらかに従来のブログとは違うサービスが次々現れるだろう。

また、従来のブログもバージョンを変えて、少しずつ変容していくのではないだろうか。

そういう「ブログ的ではあるが、もはやブログとは呼べないサービス」の呼称を考える時期が来ている。

ウェブに文章を投稿したいと思っている人は多く、動機もさまざまだから、彼らをまとめて「ブロガー」と呼ぶのは無理がある。

「ブロガーって、どういう意味? ブロガーって何を書いている人?」と聞かれたら、私は答えられない。

ブログが生まれた西暦2000年代前半頃なら「ブログって言うのは日記投稿サービスの事で、そこに日記を書いている人の事をブロガーと呼ぶんだよ」と言えた。しかし、今はブログの使われ方があまりに広範囲で、一言で言い表せない。

「ブログサービスに投稿している人だよ」と答えれば「じゃあ、料理のレシピを投稿しいる人も、四コマ漫画を投稿している人も、同じブロガーなの?」と言われるだろう。

また、「同じ『高知県でトマト作ってます』っていう文章でも、はてなブログに投稿すればブロガーで、note.mu に投稿すればブロガーじゃないの?」

つまりブロガーという言葉では「ブログに料理レシピを載せている人」も「ブログに漫画を載せている人」も「高知でトマトを作ってその様子を投稿している人」も表現できない。

例えば「ウェブ・エッセイスト」「ウェブ・コラムニスト」「ウェブ料理研究家」「ウェブ小説家」「ウェブ漫画家」と、彼らが書いている内容で細分化して呼称するのが良いのではないか。

最後に、そもそも「ブロガー」という響きが良くない。

濁音が二つもあって、音としてカッコ悪い。